伝統文化事業【伝統木版画】


 

当時三美人

寛政(1789‐1801)の初め、江戸の代表的な美人と持てはやされていた三人を、半身像で一枚に収めた絵がある。右から「難波屋おきた」「富本豊雛」「高島屋おひさ」の順に配置されている。似たような顔立ちで三人の区別がつかないように見えるが、よく見ると微妙な違いがあり判別できる。また、衣装模様が三者の定番の柄であり、区別できるようになっている。歌麿の最盛期の作だけに破綻のない構図は安定していて、上品で豪華な傑作になっている。背景の白く光る雲母摺は、歌麿が初めて用いたといわれ、高級感があり人気があった。難波屋おきたは浅草隨身門前の水茶屋の娘で、三人の内でもひときわ人気が高かった。寛政五年八月に出た一枚摺りの評判記「水茶屋美人百笑」には「天智天皇、秋の茶を飲んで、茶の銭おきたとて、かねばこ娘、隠れ難波屋」とうたわれている。おきたは16歳から18歳くらいまで水茶屋に出ていたが、その後の消息はわかっていない。富本豊雛は吉原の芸者で、巧みに富本節を語る美人芸者の第一人者として名をはせた。富本節は芝居の出語りに使われた浄瑠璃節の一流派で技巧的な節まわしで人気があり、座敷でも多く語られた。高島屋のおひさは両国薬研堀米沢町の公儀御用、巻煎餅屋兼水茶屋、高島長
兵衛の娘で、「名も高島のおひさうつくし」とうたわれた。年はおきたより一つ上であった。亀戸から婿をとり、二子を産んだが、若くして亡くなったということである。
 

美人絵 喜多川歌麿筆(1753‐1806)
認定  NPO法人国際浮世絵文化協会
販売者 株式会社KUMANOYA

額装付き
額 木製 ガラス張
版画紙 和紙
マット 布張り
製法 手摺り版画
定価 35,000円(税別)


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